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菩薩
如来の次の地位にある、菩薩について。
菩薩は、如来になることを目指して悟りをひらこうと修行に専念しているところ。
(とはいえ、事実上もう悟りをひらいているが、「菩薩」のままで人々を救う使命を背負っているらしい)

1、観音菩薩(観世音菩薩)
 いま現在の苦しみから救ってくれる。「観」は観察、「世音」は世の中の人々の救いを求める声。つまり、世の中のあらゆる人々の救いを求める声を聞き届け、あらゆる手段で救ってくれるのが観世音菩薩。

2、十一面観音菩薩
 あらゆる方面を観察して救おうとしてくれる。本面と呼ばれる中央の大きな顔の上に10個の小さな顔があり、それぞれの表情が慈悲深かったり、怒りに満ちた顔であったり、深刻な顔をしていたりする。
ちなみに、僕の実家のある金沢には白山ヒメ神社があり、そこは十一面観音菩薩を祀っており、僕にとっても円の深い菩薩様。

3、千手観音菩薩
 ひとりでも多くの人を救いたいと考えておられる。顔は十一面観音菩薩と同じ。
昔は実際に千本の手を持つ像が作られたが、後に一本の手で25個の世界を救うと考えられ、合計42本の手を持つ像が一般的になった。それぞれの手には、弓矢や剣などの武器、ハスの花など、様々なものを持っている。

4、弥勒菩薩(みろくぼさつ)
 釈迦が死んだ後の遥か未来にあらわれる(「弥勒の世」)と言われている。菩薩の中でも特に慈悲深い存在。

5、地蔵菩薩
 あらゆる場所に出向いて救ってくれる。釈迦が亡くなってから弥勒菩薩が現れるまで、我々が住む「娑婆世界」には仏がおらず、「無仏の時代」という。この「無仏の時代」にをしっかりと護るように釈迦の遺言によって命令されたのが地蔵菩薩。地蔵菩薩は、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界からなる「娑婆世界」を東奔西走して人々を救う。6つの世界を一人で巡るのは大変だろうということで、後に六体の分身が作られるようになった。これが六地蔵のいわれ。

6、日光菩薩(にっこうぼさつ)、月光菩薩(がっこうぼさつ)
 薬師如来の脇侍。向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩、中央に薬師如来が鎮座している。

7、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
 知恵の力で悟りに導く。「三人集まれば文殊の知恵」の文殊菩薩。優れた知恵と明晰な頭脳で人々を救う。

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昨夜の月が三日月
昨日が旧暦の卯月三日。
つまり、昨夜の月が本当の「三日月」。

三日月

何となくイメージしていた「三日月」よりも、実際は思ったよりもずっと細いんだなぁ。
しかも、何となく感じる幽玄さが美しい。
こっちのほうが僕は好き。


大切にしているものほど
大人が大切にしているものほど、赤ちゃんは興味を持って触ろうとする。
そう感じること、ないだろうか?

先日、知り合い宅へお邪魔する用事があった。
精神的なレベルも高いご夫婦だった。
部屋の空気も「クリーン」で、居心地がいいというか、
程よい緊張感を伴った清清しい空気。
で、そこにいて得た気付き。

「物には気がこもる」


「命」とは「気の集まり」という持論がある。
「物にも命がある」というとおかしいだろうか。

例えば乳幼児などを観察していると、大人が気付きにくい「気」あるいは「気配」などに
とても敏感だと思えてくる。
一例として、赤ちゃんが自ら「抱っこ」されにいく人と、全く近寄ろうとしない人とぱっと見て区別している(ように見える)ことが挙げられる。
恐らく、その人がもつ「気」を感じて、自分のことを好きか嫌いか、好い人かそうでない人かを見極めているのだろう。


つまり、物にも「気」がこめられることで、生きてくると僕は考えている。
(とはいえ、物がまさか歌ったり、踊ったりするとは考えてないー ((((;゜Д゜)))
好きになることを「気に入る」というが、物を気に入ることで愛着が湧き、
ますます物に「気」が込められる。
特に大切なものには多くの「気」が入り、場合によっては「執着」になる。

乳幼児はその「気」を敏感に察するのではないだろうか。

それらの「気」がこもった物を見ると、乳幼児にとってはすぐに「気になる物」になる。
人が大切にしているものほど多くの「気」がこもっているので、余計に気が付き(目に付き)、
手にとってみたくなったり、欲しがったりするのではなかろうか。


物の「気」は、住居の雰囲気や空気感にも影響を与える。
物の多い家(部屋)には、結果として住人の「気」があちらこちらにこもっており、
良い悪いではなく「気」が多い(結果として、部屋中に住人の「気」が充満している)ので、
その「気」の良し悪しで居心地が良かったり悪かったりする。
逆に物が少ない家(部屋)は余計な「気」がないので、空気がクリーンだったりするのだろう。
(もちろん、部屋の雰囲気はそれだけで決まらないが)

先日うかがった友人宅では物が少ない部屋に通され、その部屋は
空気がとてもクリーンだった。

そんな仮説というか「気付き」を家内に話したところ、「分かる気がする」とのこと。
我が家もこのGWに、物を減らす努力をしたい。



ちなみに「気」を広辞苑で調べると、
1、天地間を満たすもの
2、生命の原動力となる勢い
3、心の動き・状態・働きを包括的に表す語
4、はっきりとは見えなくても、その場を包み、その場に漂うと感ぜられるもの
5、その物本来の性質を形作るような要素
だそうだ。

慣用句としては、
気がある
気に入る
気が滅入る
病も気から
気が晴れる
気疲れ
気は心
気をつける
気を付け(号令)
気をとられる
など沢山ある。
(もちろん、もっともっとある)
筍狩り&ばんや
今日は友人の実家が所有する千葉にある山の竹やぶで、筍狩りに行ってきた。
家族皆初体験で、鍬でもってざっくざっく掘ってきた。
根っこまでちゃんと刈り取るとはなかなか難しかったが、最後の方は少しだけコツがつかめてきた。とはいえ、綺麗に根っこまで刈り取れる勝算は3~4割程度。

また、竹やぶの中から上を見上げると、風が強めだったこともあるが、竹が揺れる風情に癒された。「ゆらぎ」によるα派が出てますなぁ。炎などと同様だと感じた。

その後、保田にある「ばんや」というところへ食事にいき、東京ではそうそう食べられないような魚三昧をご馳走してもらった。すっごく美味しかった。結構有名らしく、開店後まもなくの到着だったはずなのに店内はすでに満席。売り切れの品も多くあった。ここは、また是非来たいと思った。

帰宅したのは夜の9時ごろだったが、頑張って筍茹でて、念願の刺身をいただきました。繊細な味わいに筍の風味とわさびのハーモニ~。美味しくいただきました。

リビングが、筍のいい香りで満ちています(笑)
今日から卯月
今日から旧暦でいう「卯月」。初夏。

今日からお茶の次の点前が始まり、まずは「立ち稽古」を。
新月から始めると良いということで、風炉の薄茶点前をこれから頑張ります。

激しい雨が降る中、頑張って稽古に行ってよかった。
気分上々。

そういえば、今夏からのシリーズ、「趣味悠々」で武者小路千家の番組が放送されるらしく、京都から来た庭師が庭の手入れを風雨のなか、明日の撮影に間に合わせるべく、びしょぬれになりながらやっていた。
いくつかの流派があるが、順番に掛け持つらしい。
夜中に女性が一人で
夜中に女性が一人で歩ける日本は、世界からみると「異常」だそう(もちろんいい意味で)。

今日は友人の誕生パーティに呼ばれて行ってきた。
毎度そうだが、その友人がらみの集まりには「いい顔」して頑張っている、輝いている人たちと知り合える。今日もまさにそうだった。

いろんな話をしたり逆に話を聞けたりしたが、その中でも興味深かったのは、海外からみえる日本の姿についての生の声(?)を聞けたこと。

一人は、学生時代にイギリスの大学で社会学を勉強した人。
教科書には「世界の大都市では犯罪がはびこっているが、しかし日本は除く。」とか、「日本を除いた世界の大都市では貧富の差が激しく~問題になっている。」などの記述が非常に多いらしい。それだけ、日本という国は平和な国だと「特別視」されているようだ。本当に、いい意味で「異常」らしい。

一人は、イタリア人の男性と日本人の女性を両親にもつハーフの人。
日本に来て感じたことを聞いたところ、これだけ過ごしやすい(便利に生活するため機能が溢れている)都市は他に無いが、日本人はその利便性を「当たり前」だと感じている、「平和ボケ」しているのかとも思う、といったものだった。

他にも、日本の良さを繋いでいきたいという僕の思いに共感してくれる人たちが何人かいて、僕がライフワークとして取り組んでいけたらと思っていることが、少なくとも間違った方向には進んでいないという喜び?自信?などの力をもらえ、さらに色々とよい話をお聞きできた。有り難いことだ。


とにかく日本文化等に興味がある人も無い人も、皆がどこかで日本の良さ、日本人の精神性の尊さを知っていたり、気付いている。しかも、それが薄まりつつあることに、どこか危機感も感じているようだ。

今日は思うことが沢山あった。併せて、何人かの人からお聞きしたことや、感じたことを、近いうちに綴っていきたい。


アシュリー・ヘギさん、17歳で亡くなる
難病「プロジェリア」を患っていたアシュリー・ヘギさんが、17歳で亡くなったというニュースが流れた。

アシュリーさんのことは、恐らく多くの人と同様、何となく知っているという程度だった。
しかし、ニュースで紹介されたアシュリーさんのコメントに感動した。

『アシュリーさんは「プロジェリアという病気をどう思っているかは、昔と変わってないわ。わたしがプロジェリアだということには、ちゃんとした理由があるの。神様が与えてくれたものだから、すてきなことなのよ。だから、わたしは大丈夫」と話していた。』

義務教育を受けた日本人ならこの言葉の字面は当然理解できるだろうが、真意まで理解できる(レベルの)人が、どれだけいるだろう?
また、もし僕も同じような境遇になった時に同じように心底思えるかどうか、正直、なってみないと分からない。妻も同じことを話していた。


僕が非常に感銘を受けた人がいる。
彼の書籍から多くを(今も)学ばせてもらっている。
「中村天風」という人だ。
知る人ぞ知る、偉人。
彼を知る人は、高齢の方が多いかもしれない。
たまたま知り合った日本IBMの営業部門の立ち上げに関った方(80歳超)もご存知で、僕が天風氏を知っていることに非常に驚いていた。
事実、僕のような30代の人で知っている人は極々少数だ。
しかし、知っている人は口を揃えて褒め称える。

その中村天風氏が説いていることと、アシュリーさんは全く同じことを話された。
こういう言い方が正しいのか分からないが、精神年齢というか人間性というか、むしろ魂といった方がぴったりしそうだが、それらの「レベル」が極めて高い。
そういった方々は結局たどり着くところが同じなのだろう、同じことを言う。
(これは、世の中にあふれている「成功哲学」や「自己啓発」などのビジネス書にも同様のことがいえる)
大きな気付きを得られたアシュリーさんは、大切な気付きを与えられた幸せな人生を歩めたと感謝していたのだろうなぁ。

いつも不平不満ばかり言っている人の人生に、気付くきっかけがあるといいですね。
ほんのちょっと気付くだけで、人生が彩り豊かで味わい深くなり、日常が幸せになるのに。
ここだけの話、気付いている人は「いい顔」してる。
不平不満だらけの人は、いい顔してないんだなぁ~。
もう、ぱっとみて分かってしまう。

アシュリーさんは、本当に「いい顔」をされていました。
ご冥福をお祈りいたします。


如来
仏像で一番地位が高い、如来について。
1、釈迦如来
 仏教という教えを考え出した、お釈迦さまがモデル。
2、薬師如来
 こころとからだを救ってくれる。左手に薬壷を持っているので判別できる。
3、阿弥陀如来
 死んだ後に救ってくれる。遠目では釈迦如来と区別がつきにくいが、両手のいずれかの指で輪を作っている。
4、毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)
 仏教の教えそのものを表す。仏の総元締め。有名なのは奈良の大仏。
仏像は4種類
京都・奈良へ旅行するようになって、仏像に興味を持ち出した。複雑だったり似たり寄ったりだと思っていた仏像が、少しずつ面白いと感じるようになってきた。整理しながら、少しずつまとめていく。

仏像は大きく分けて4種類。
1、如来
 悟りを開いた人。この世の全てを理解し、もう迷うことのない状態のこと(らしい)。全てを捨てて一枚の粗末な衣だけをまとっているのが特徴。
例:釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、他

2、菩薩
 悟りをひらいたも同然だが、如来の命によりこの世に留まり、全ての人を救うことに専念。穏やかで優しい表情をしているのが特徴。きらびやかな装飾を身に着けている。
例:観音菩薩、十一面観音菩薩、千手観音菩薩、他

3、明王
 怒りの力で導いてくれる。密教の教えで生まれた。恐ろしい怒りの表情。装飾を身に着けているが、さらに様々な武器を持ち、蛇を巻きつけていたりしている。
例:不動明王、愛染明王(あいぜんみょうおう)、孔雀明王、他

4、天(天部)
 如来、菩薩、明王を仏滴から守る守護神。男性と女性の神様がはっきりしている。鎧・兜を身につけているもの多い。
例:四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)、阿修羅、他
穀雨(こくう)
今日は穀雨。旧暦でいう、晩秋である弥生(三月)二十五日。

曇り空。夜から雨が降り始めるとのこと。
古来より農耕民族であった日本人は、自然の中で穀物を育て、生かされてきた。
百穀をうるおす恵みの雨。やわらかな春雨の季節。

日本の原風景を想像してみる。
田畑に振る雨。
里山にも静かに降る。
どんよりした雨空に村人は外に出ることなく、家の中で静かに過ごす。
農作業は、恵みの雨のお陰で今日はお休み。
晴耕雨読の生活。
そんなことを想像すると、鬱陶しく感じる雨に対してやさしい気持ちになった。
心のおき方ひとつ。

晩春。
今週末の4/25(土)が旧暦でいう卯月四月一日(新月)になり、
いよいよ草木の繁殖が極限になる初夏が始まる。
カテゴリ説明
・はじめに    ブログの目的、カテゴリ説明など
・人生の風趣  日本人の心根について、自己啓発など
 (心のあり方)  
・季節の風趣  日本の「季節感」を、旧暦を基点として綴る
 (旧暦)
・読書雑感    読書感想など
・茶(稽古)    稽古の様子、学び、思ったことなど
・菓子      和菓子について、和菓子の持つ「季節」など
・草花      茶花、なげいれ活花など
・和装      着物、袴など雑感
・日本酒     純米無ろ過生原酒、マリアージュ
・家庭論     夫・父親として思うこと&学んだことなど、自分の成長記録
・自然     自然食、自然育児、代替療法など、自然をkeyにしたもの
・巡りもの   日本文化に関連した旅行記など
・仏像      仏像や仏教など
・日記      上記に属さない綴りもの
・未分類     過去ブログなど(いずれ分類する?)
(順不同)
箱根九頭龍神社
今日は仲間と箱根へ日帰り旅行をし、「箱根九頭龍神社」へ行った。
朝九時に有楽町に集合し、車で2時間半程度で到着。家に着いたのは20時30分。
詳しくは書けないがユニークなメンバーで、「劇団の方たちですか?」と見知らぬ人に聞かれるような集団。たしかに今もCMや雑誌にでてる現役の俳優やモデルもいるし、僕みたいな一般人(とはいえ、多様な職種の人たちばかりw)も含めた不思議な仲良しグループ(笑)。皆、気さくでいい顔してるナイスな人たちだ。
「九頭龍神社」はなんでも、縁結びや出世の神様(龍神様)なようで、毎月決まった日には船で未婚の女子達が押し寄せる有名な神社らしい。今日はその「決まった日」ではなかったので、人はまばら。
とはいえ、箱根神社の新宮ならまだしも、本宮は「決まった日」しか船便がでておらず、それ以外の日は途中まで車でいけるものの、その後は山道(舗装はされてる)を20分程度歩かないといけない場所にある。なので、「まばら」とはいえ、すごいと思った。
周辺は神気に満ちていて、とても気持ちが良い場所でした。
個人的に箱根の温泉として観光地は何となく好きではなかったが、九頭龍神社の周辺は気に入った。周辺には贅沢なコテージもあり、今度皆で宿泊してバーベキューしよう!なんて盛り上がって楽しかった。

九頭龍は、石川の白山ヒメ神社の裏の神様(表は十一面観音)。もともと僕にはご縁のある神様(竜神様)。感謝。

次は6月に2泊3日の京都奈良旅行。
昨年の旅行も最高だったので、今年も楽しみ。

雑誌「選択」2009年4月号
「選択」という雑誌を講読してる。
三万人のための情報誌とサブタイトルがついている雑誌。
広告が殆ど入っていないために記事に変なバイアスが掛からず、月刊誌であるために新聞のように表面だけを「ニュース」として流す類のものでもない。結構深くえぐった記事が多い(と思う)。
4月号で特に興味深かった記事は、「一歩先行く成熟国家オランダ」です。
いわゆる「オランダ的問題解決手法」を日本も取り入れるべきだし、日常生活でも取り入れていきたいと思った。
やっぱり、「アメリカ的問題解決手法」じゃ、根本的な解決にはなかなか至らないんでしょうね。。
バッチフラワーレメディの薦め
以下の要件で、新規に立ち上げるフリーペーパーの原稿作成依頼がきました。
初めてのことなので、頑張って書きました~。
スポンサーへのプレゼン結果はOKだったそうなので、そのうち発行されるんでしょう。
少しずつでも実績を作りつつ、動いていきたい。


【メインターゲット】
30代~50代の男性サラリーマン
【フリーペーパーの目的】
スピリチュアルに関心の低い(情報に接する頻度の低い?)メインターゲットに対し、
スピリチュアルについて知ってもらい、興味を持ってもらうきっかけとする。
【イメージ】
飛行機の機内誌のイメージ(ある程度格式がある)
【記事の目的】
バッチフラワーレメディを取っ掛かりに、精神的な分野・非科学的な分野(スピリチュアル)への不信感の軽減と興味喚起。



私は国内のIT企業に勤める、いわゆる「普通」の会社員で、恐らく多くの人と同様、「スピリチュアル」という言葉を耳にすると、まず懐疑的な反応を示す。
個人的には(偏見もあるが)、世の中でいう「スピリチュアル」の8割~9割はまず信用しない。
なぜなら、目に見えないことを説き、その非視認性から実証が難しいためにまさに玉石混合だからだ。

実際に効果のあるなしではない。「スピリチュアル」を掲げて活動しているものの多くが「腑に落ちない」。こう言うと判断基準が極めて主観的だと批判されるかもしれないが、目に見えず実証性の少ないものを判断するには、自分に特別な力が無い限り、ある程度主観的な判断も止むを得ない、むしろそれが普通だと考えている。おそらく防衛本能が働いているのだろう、必要以上に懐疑的になっているのかもしれないが、現代ではそれ位でちょうどいい。

特に「スピリチュアル」なものがお金や物といった物質社会でいう「価値」と強く結びつくと違和感をもつ。
ただし日本古来から伝わるもの(神話も含め)には、現代の感覚では俄かには信じがたい、非科学的な不思議なことも実際にはあると思う。レオナルド・ダ・ヴィンチはいう、「科学を忘れた宗教はありえない。しかし、宗教を忘れた科学もありえない」。
「スピリチュアル」な存在を否定するつもりはない。この世界に「非科学的な」未知なる現象は数知れず、科学は万能ではないことも周知の事実。そして、その「非科学的」なものの中に、現代人が忘れ、心のどこかで追い求めている「何か」があろうことも最近になって実感する。そこで少しでもお役に立てればと思い、お金や物といった「価値」の犠牲を強いるようなことではなく、非常に役に立ったと実感した「非科学的」なものを紹介したいと思う。それは「バッチフラワーレメディ」だ。

なぜ現代人はいつもイライラしたり、心がモヤモヤしているのか。
原因は決して我侭なクライアントのせいでもなく、役に立たない部下のせいでもない。全ては「自分の心が安定していないから」であり、言い換えると心が常に「落ち着いた状態」でないからである。日常生活では「問題」が多いが、それらに対して気は配るが心配はしない。最低限の手は打つが、結果がどうあれ(生きている限り)大したことではない。そういった心持でいられるかどうか。そのための秘訣を一言で言うと、前向きな心持で「執着心」を薄めていくことだが、「言うは易し、行なうは難し」。そうそう「世捨て人」になれるものでもない。

とはいえ、とにかく心が少しでもネガティブな状態であれば、それを払拭せねば落ち着くものも落ち着かない。
そこで、まずは自分の心がネガティブな感情から抜け出させ、「フラットな状態」にしてくれるものが「バッチフラワーレメディ」だ。
「バッチフラワーレメディ」とは、1936年に英国のエドワード・バッチ博士によって完成された花々から抽出したエッセンスのことで、これは例えば「ヨガ」「漢方」「アロマテラピー」「マクロビオテック」「アーユルヴェーダ」など比較的知られているものがある「ホリスティック医学」「代替医療」と呼ばれるものの一種だ。
これらは聞き慣れないかもしれないが、人間を「体・心・気・霊性」などの統合体ととらえ、宇宙の摂理(物質社会・精神社会の両面)に基づいた考えに立脚し、人間自身と人間を取り巻く構成要素全体で調和がとれた状態を「健康」だと考える医学で、「自然治癒力」を治療の基本としている。では西洋医学などの薬は使用しないかといえばそうではなく、西洋医学等も治療手段の一つとし、全体のバランスを崩すことなく、極力心身に負担をかけないように、症状によってもっとも適切だと考える治療を施すといった柔軟性も特色のひとつ。

実際に私が服用した時の体験をあげると、例えば、周囲の期待に応えようと頑張り、結果として精神的に疲労して次にやる気がどうも起きないとき、あるいは心身共に疲れ過ぎ、かえって眠れないときや、他人のやることが自分の基準に合わず批判的になり、細部にまでつい口を出してしまいそうなとき、そうはいっても自分の考えや直感が合っているのか自信がないときや、必要以上に完璧にやろうと力が入り過ぎ、逆に自分を抑圧してしまうときなど、枚挙に暇がない。

自分の心がフラットではないと感じたら、「バッチフラワーレメディ」を数滴服用すると、早ければ1時間程度で落ち着きを取り戻してくるのが分かる。時には効果がゆっくりでることもあり、それは症状の深さによるのか、そのときの状況によるのかは定かではないが、私の場合は遅くとも2,3日で効果は出てくる。

参考までに「バッチフラワーレメディ」がどんなものかを紹介すると、親指ぐらいのガラス瓶に花のエッセンスが保存液に溶かしてあり、種類は全部で38種類。この中から症状に合わせてレメディを選び、2,3滴程度を直接口に含むか、紅茶などに足らして飲むだけだ。
欧米、特に英国では日本とは比べ物にならないほど認知され、殆どの自然食品店などで入手することができるようだ。
蛇足だが、本場英国の製品はバッチフラワーの保存液としてブランデーを使用しているが、日本向けの製品は酒税法にひっかかるために保存液がビネガーだったりグリセリンだったりする。英国から直接、個人輸入することをお勧めする。webで簡単にオーダーでき、しかもその方が安かったりする。

以上です。
ちょっと長くなってしまった。
雨の後に虹が出始める (清明 虹始見)
今日は、七十二候(しちじゅうにこう)でいう、清明の末候にあたる「虹始見」。

実際に、昨夜の大雨の後、本日快晴!
夏かと思わせるぐらいの陽気で、とても気持ちいい。

自宅でお茶を進ぜた。
昨日、我が家で初めて来客にお茶(略盆)を振舞いました。
僕より年下の20代そこそこの若夫婦で、「お茶は初めて」とのことでした。
緊張させず、気楽に楽しんでもらった方がよいと考え、客の作法も教えず、軽く会話をしながらお茶を点てました。
これからは、きちんと作法通りにやったほうがいいと思いました。

理由として、
1、「非日常」を感じてもらうことも、お客様にとってのご馳走だと思った。
着物袴までは着ないにしても、少なくとも客の作法ぐらいは教え、無言でお茶を点てる。
それによって多少の緊張感を与え、それが「非日常」の演出になる。

2、客の作法は予め教える。
上記にもあるが、教えないと茶碗すら返ってこない(笑)
逆に、分からないままにしてしまうと、恐らくお客様も色々と作法があることを何となく知っているだけに、不安な時間を過ごさせてしまう。それは「もてなし」ではない。
などです。

また機会を見つけて、来客にはもちろん、友人の誕生日会などでもお茶を差し上げたいです。

事始は満月より新月
凛とした綺麗な満月。
今日は旧暦で3月14日。

雲一つない夜空。窓枠などに反射する青白い月光。
照らし返す青白い月光に、何を想う。
万葉の時代の人々とと同じ月を眺められる。
月が放つ悠久の美しさを感じるひとときに感謝。

物事を始めるのに、満月は避けるべきだそう。
満月の影響を受けて発想する力が強くなりすぎ、
実際に形を成した際にがっかりすることが多いらしい。
逆に満月に一気に原稿を書く作家などは多いらしい。

物事を始めるのに、旧暦の月初めにあたる新月の時が最高だそう。
落ち着いた発想で、実際にはそれ以上の形に繋がることが多く、
新しく始めた物事が継続されるそう。

次の新月(旧暦の月初め)は4/25。
準備しておこうか。
旧暦3月10日
清明(せいめい)
「万物発して清浄明潔となり、百花咲き競う季節」(万物がすがすがしく明るく美しいころ。)

東京で桜が満開。
今年の開花予想は、当初は「3月末には満開か!?」などと報道されていたが、3月末~4月始めまで急に気温が下がり、結局例年とほぼ同じ頃合に満開となった。

お茶を習い始めてから、季節の花々にも興味を持つようになった。
少しずつだが、学んでいきたい。

春のお茶会
今日は稽古先のご近所さんを招待しての春のお茶会だった。
お茶を習い始めて半年、今日は招待客の前で略盆点前の卒業試験だった。
稽古場では小学生からお茶を教えており、彼ら彼女らの腕前の披露の場でもあった。
何年も稽古している中学生などもいて、僕からするとお茶の先輩。
そう思うだけで、自然と頭が下がります。

しかし、所作は人としての成熟度がでるようだ。
お茶の稽古を何年もしている子供のお辞儀の所作ひとつ見てみても、大人のそれとは大きく違う。
良いとか悪いの話ではなく、純然たる事実というだけ。
所作に心を込められるかどうか。
美しい所作を真似て練習すれば「美しい演技」もそのうちできるようにはなるだろう。
研ぎ澄まされた「演技」も、日ごろの「美しい所作と見られたい」「客人に美しい所作でもてなされていると感じてほしい」といった思いが幾重にも重なった稽古の成果ゆえ、それはやはり心を打つのだろうな。

ちなみに略盆点前は無事卒業し、次回からは次の点前を習えることになりました。
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